遠い昔から犬は人にとって、与えた仕事を忠実にこなしてくれる力強い相棒であり、喜びや悲しみを共に分かち合える仲間でもありました。けれどその関係は決して平等なものではありません。
日本では、犬は人と暮らすことでしか、人間社会で生きることを許されていません。放棄されれば野犬と呼ばれ捕獲の対象となります。名前を失った犬にはその場所で生きる権利さえ奪われてしまいます。
その犬がたどる運命は、飼い主になる誰かに手渡されたときに決まってしまうのです。ではどんな飼い主であれば犬は幸せだと感じるのでしょうか?
プゥさんを保護してくれた保護主さんのところには、たくさんの保護犬がやってきますが、心ある人たちが里親になって下さるので、次々と新しい犬生を生きることができています。
里親になるにはさまざまな条件があるということもありますが、里親になられる人は裕福な家庭の方も多く、ボロボロな姿で保護された犬達が、たちまち素敵なお家で、きれいな洋服を着たお坊ちゃま犬やお嬢様犬になる、ということも珍しいことではありません。
それはそれでとても幸せで喜ばしいことですが、犬にとっての本当の幸せはもっと違ったところにあるように思えます。
我が家はお金持ちでもなく、お洒落なインテリアとは程遠い古い日本家屋で、プゥさんを迎えても特別贅沢なこともしてやれないので、そのことについて保護主さんとお話をしたことがあります。その時に保護主さんがある老人と老犬のことを話してくださいました。
一人暮らしの老人が古いアパートで老犬と暮らしていました。毎朝仲良く散歩をして、近くのコンビニで老犬には1本のソーセージを、自分は菓子パンと小さな牛乳パックを買い、いつも外の植え込みに座り、仲良く食べることが日課だったそうです。
ある日連絡が取れないことを心配した福祉の人が尋ねてみると、部屋で寝込んでいる老人とそばに寄り添っている老犬がいました。老人はすぐに病院に搬送され、幸い命に別条はありませんでしたが、この先の一人暮らしは無理ということで福祉施設への入所が決まりました。残された老犬はこの保護主さんが預かり、その後新しい里親さんが見つかり引き取られたそうです。
スーパーで売られている一番安いドッグフードを食べ、おそらくドライブやドックランなどには一度も連れて行ってもらったことがなかったであろう老犬が、一番望んでいたのは高いプレミアムフードでも、ふわふわの高級ベッドでもない、最期の時までおじいちゃんと一緒の布団で寝て、おじいちゃんの腕に抱かれて看取られることだったのだと思う…と終始様子を見ていた保護主さんは言っていました。
私はその話を聞き、犬にとって大好きな飼い主と最期の時まで一緒に暮らせること以上の幸せはないのだ、ということを改めて感じました。
我が家でも最後の犬になるだろうことを覚悟してプゥさんを迎えました。自分達の年齢から換算して、子犬から育ててその最期を看取ってやれるという自信はありません。老犬になりつつあるプゥさんなら、私達の手でしっかりと最期を看取ってやれると思ったからです。
今は元気でも人生には何が起こるかわかりません。犬を迎えるということはその命に最後まで責任を持つということです。可愛いという気持ちだけで迎えるのではなく、自分達がどのような状況になっても、この子を自分の手で看取れるのか、と犬を迎える誰もが自分に問いかけていけたら、犬はきっと幸せな一生を送ってくれるに違いありません。
「ブログ|元保護犬おじいわんプゥ」記事一覧