アルファシンドロームは権勢症候群とも呼ばれる犬の行動に対する考え方です。権勢とは「権力を振るう」、「権力をほしいままにする」という意味を持つ言葉。では、「権力をほしいままにする」犬はどのような行動をとるのでしょうか
オオカミを祖先に持つと考えられている犬。このアルファシンドロームは、オオカミの研究成果から生まれた言葉なのです。
野生のオオカミは、父、母、姉妹兄弟といった家族の群れ(パック)で暮らしています。その家族の頂点に立つ父をアルファオス、・母をアルファメスと呼びます。このペアが繁殖をおこないます。が群れのリーダーで、これをアルファと呼びます。
特に、アルファのオスは、オオカミの群れの中で絶対的な権力を持ち、優位的な行動をとるという考え方から生まれた理論が、このアルファシンドロームなのです。
1980年代、犬のしつけの世界では、このアルファシンドロームという考え方が主流でした。アルファシンドロームの犬は、家族の中で自分がリーダーだと考えているために、自分が優位でなくてはならない、自分が優位になるために攻撃をするとされています。
噛む、唸る、無視する、言うことを聞かないなどの行動がそれにあたり、人間から見ると問題行動となるという考えです。つまり、可愛いからといって甘やかしすぎた結果、犬が持つ権勢本能を育ててしまうことが原因であるとされていたのです。
では、具体的にアルファシンドロームの犬は、どのような行動をとるのでしょうか。代表的な行動をご紹介します。
アルファシンドロームと考えられる行動
飼い主に対して噛む、唸る、威嚇するなどの問題行動をとる犬をアルファシンドロームと呼び、飼い主がリーダー(アルファ)となるべきであるというリーダー論が、日本のしつけの世界で浸透したのが1990年代でした。
飼い主は常に犬より上位であるべきであるという考えに軸足を置き、「食事は人間が先」「ベッドで一緒に寝てはいけない」「肩より高い位置に抱いてはいけない」「散歩では前を歩かせない」「引っ張りっこで負けてはいけない」などが、犬をアルファシンドロームにさせない方法であると声高に叫ばれていました。
アルファシンドロームの考え方で推奨されたしつけ方法は、飼い主が犬よりも上位だということを行動で示す方法です。その代表的なものが「マズルコントロール」や「アルファロールオーバー」などです。犬を力で抑え込む方法や体罰を与えることが、代表的なしつけの方法として示されていました。
しかし、2000年に入るとこれらのしつけは、逆効果であるとする動物行動学者やトレーナーが現れ、しつけの考え方が大きく変わったのです。
飼い主が犬にとって絶対的なリーダーになることが推奨されていたあるファシンドロームですが、近年の研究で、オオカミの生態が明らかになったことから、一転、著名な行動学者たちがこぞって否定をし始めたのです。
最新の研究で、オオカミは絶対的な順位付けを行わないことがわかりました。実は、これまでの研究は動物園という特殊な環境にいるオオカミに対して行われていたもので、動物園のオオカミでは、アルファのオオカミが絶対的な優先権を持ち、常に優位に行動していたことが観察されていたのです。
しかし、野生のオオカミでは、家族で群れを構成し順位関係が明確に作られないことが確認されたのです。このことから、アルファシンドロームという考えが否定されたのです。
アルファシンドロームのしつけ理論を自著「ALPHAbetize」で欧米に紹介したのは、アメリカ人のドッグトレーナーであるテリー・ライアン女史でした。犬には、アルファとなるリーダーが必要で飼い主は犬のアルファにならなくてはいけない、そのためには服従訓練が不可欠であると説いたこの本は、日本でも話題となり、多くのドッグトレーナーがこの理論を取り入れたのです。
現在でも、この考えを持つトレーナーが多く存在していることも事実です。
最初の提唱者であるテリー・ライアン女史、獣医師であり動物行動学者・ドッグトレーナーでもある著名なイアン・ダンバー氏によってアルファシンドロームが否定された現在では、「褒めるしつけ」あるいは「陽性強化」理論がブームとなっています。
アルファシンドロームでは、犬に対して威圧的な態度をとる、ときには厳しく罰を与えることを推奨し、犬よりも上位になることが必要であるとされましたが、「褒めるしつけ」では、トリーツを使ってできたことを褒める、叱ってはいけないなど両極端とも思えるしつけ方法が現在の主流です。
果たしてこの「褒めるしつけ」で噛む、威嚇するなどの問題行動をとる犬がいなくなるのでしょうか?犬の問題行動の原因の多くは「社会化」不足であると唱えるドッグトレーナーが多くいます。
ペットショップから犬を迎えることが多い日本では、子犬にとって最も大切な社会化期を犬の集団で過ごさせないこともあります。犬の社会化は、人間社会で共存していくために必要不可欠なこと。社会化期を適切に過ごしていない犬は、問題行動を起こしやすいとも言われているのです。
アルファシンドロームで提唱されたリーダー論ですが、犬にとってリーダーは必要ないのでしょうか?犬を擬人化し、綺麗な洋服を着せカートで散歩をさせる日本人は、海外の専門家から奇異な目で見られています。そのような犬の多くは適切に社会化されていません。
他人やすれ違う犬にカートの中から吠えたてる、歯を剥く、唸るなどの行動も問題行動の一つです。恐怖や不安を持つ犬はとても不幸です。飼い主との間にしっかりとした信頼関係が構築することが犬にとって安心を生むことになるのです。
アルファシンドロームで提唱されたリーダーは、絶対的な立場の強いリーダーでした。このことが否定されたからと言って、犬にリーダーは必要ないという意味ではありません。
犬は、信頼できるリーダーがいて初めて安心して人間社会で暮らしていかれるのです。犬は、言葉を話せる訳でもなく、自らの意思で食事を作れる訳でもありません。そんな犬にとって必要なのが飼い主というリーダーなのです。
アルファシンドロームでの上下関係を示すリーダーではなく、信頼し協調関係を持てるリーダーが犬には必要なのです。犬が安心して飼い主に頼れることが、犬にとっては最も幸せな生活だと考えられているのです。
筆者が初めてゴールデンレトリバーを迎えたのは、25年ほど前のことです。その当時は、アルファシンドロームという考え方が主流でした。多くのしつけ教室では、「犬を仰向けにして上からかぶさりなさい」「人間の食事の前に犬にご飯を与えてはいけない」などと常に人間が犬より強い立場でいることが強調されていました。
ところが陽性強化論が主流となりはじめた5年後、2頭目を迎えた時に出会ったドッグトレーナーから言われたのは、「ヒールで歩けたらトリーツをあげて」「大げさに褒めて」でした。筆者は偶然にも2タイプの異なるしつけ方法に直接触れることができましたが、実際に犬と毎日向き合っていると、どちらの考えも間違っていないと感じる場面に遭遇することが多くあります。
犬は家族の一員と声高に叫ばれていますが、犬を擬人化し人間の子供のように扱うのではなく、犬という動物をよく理解し、犬との信頼関係を築くことが、犬にとっても飼い主にとっても幸せな日々を送れるのではないでしょうか。