犬の殺処分や虐待など、動物たちが不幸になるニュースを見ると、心が鉛のように重くなり、悲しい気持ちになります。愛犬家の皆さまと、この気持ちをシェアしたいと思い、こちらの話を書かせていただきました。「愛犬たちが生まれてきた理由」のお話です。
ある日、近所の役所に用事があり、出かけました。ぼんやりと自分が呼ばれる順番を待っていたとき、ふと流れている映像に目がとまりました。 その映像の内容を簡単にご説明します。
「こどもが捨てられた犬を拾い、親に隠して飼っていました。何日かすると隠していた犬が親に見つかり、親が犬を施設に連れていってしまいます。こどもはどうしても犬のことが忘れられず、親を説得し、施設にその犬を迎えに行き、家族として暮らすようになる」という話でした。
ストーリー的にはハッピーエンドなのですが、最後のシーンに映る「引き取り手のない犬たち」の映像がとてもリアルで、私はその子たちのバッドエンドの方が心に刺さり、いつまでもそのシーンが忘れられませんでした。
その映像を作った方も、きっとハッピーエンドの裏側には、悲しい現実もあるということを伝えたかったのではないかな、と思います。
何度か某所の愛護センターへ行く機会がありました。愛護センターの中は、犬たちが走り回れる手入れの行き届いた芝生、トリミング用の施設など、はたから見るとすばらしい環境でした。
その後、保護されている犬たちを見に行きました。1頭ごとに仕切られたスペースの中にいる犬たち。 そこで驚いたことは、「ここは、犬の展示会場?」と思わせるくらい、さまざまな純血種の犬やミックス犬がいるのです。
ミニチュアダックスフンド、トイプードル、チワワ、柴犬・・・「なんだこれは?」
そこには、行き場をなくした犬たちがいました。きれいな施設、清潔な環境、適切な食事や医療。その犬たちに足りない大切なもの、それは「家族」でした。
東京都は2018年に犬と猫の殺処分ゼロを達成しています。ですが、その裏側の現状は、とても悲惨で厳しいことを、皆さんはご存じだと思います。
また、動物虐待も減っていません。動物虐待をする人の心情を「心の闇」などと表現されますが、命を落としたり心に傷を負ったりした犬や猫にとって「心の闇」で済まされるのでしょうか?
>殺処分や動物虐待のニュースを見ると、人間は何をしても許されるのかな?と悲しくなります。人間は知的動物として、さまざまな力を得ました。その反面、もってはならない思想も得てしまったのではないかと、常に考えさせられます。
君たちが生まれてきた理由。それは、手放されることでもなく、虐待されることでもなく「愛されるため」ですよね。 生き物たちが共存し、笑顔や思いやり、優しさや愛であふれる世界。そんな理想郷はないのかもしれません。
ただ、私たちに無償の愛をささげてくれる愛犬たちが、愛され、幸せな世の中であってほしいと心から願い、彼らも幸せになるために生まれてきたことを、人々は忘れてはならないと強く思うのでした。
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