愛犬の病気がわかったとき、先輩のドッグトレーナーにいただいたアドバイスを今でも思い出して、考えることがあります。何が正解なのか分からないからこそ、ときに迷い深く考えるのだと思います。今でも思い出しては答えが見つけられない、多頭飼いと愛犬についてのお話です。
今から3年ほど前、愛犬が心臓病を患っていると分かり「余命は半年くらいだ」と言われました。これからは、愛犬だけを見ていたいと考えるようになり、ドッグトレーナーのお仕事を休業し、お世話になっていた方々にもご挨拶をしていました。
そのとき、ドッグトレーナー仲間のひとりに「愛犬と別れたときのショックを軽減するために、新しく犬を迎えたら?」とアドバイスをいただきました。多頭飼いをしていると愛犬を1頭亡くしたときに、生きている犬に寄り添え、悲しみを分かち合えるという話を聞いたことがあります。
他にもたくさんのアドバイスを、先輩のドッグトレーナーやお仕事で関わった方々からいただいたのですが、その言葉がやけに心に響き、深く考えさせられました。
決して多頭飼いを否定しているわけではありません。むしろ、ドッグトレーナーをしている頃、犬の気質を見て多頭飼いを進めることもありました。
「多頭飼いをしてみたらどうか?」というアドバイスが、私の心に一石を投じたのは、愛犬の性格が関係していたのだと思います。愛犬は他の犬となかなか打ち解けられず、ひとりで気ままに過ごす方が向いていると思っています。
ただ、それも「やってみないとわからない」というのが正直な答えです。
多頭飼いは、犬たちだけの世界があり、それによる成長や人間にはできないメンタル的なケアも、犬同士でできたかもしれません。メリットもたくさんある多頭飼いですが、愛犬と新しい犬が一緒に暮らしているイメージが、どうしても私にはできなかったのです。
愛犬と新しい犬が一緒に暮らしているイメージができなかった理由は、愛犬と新しく迎える犬に「生と死」を当てはめてしまうのではないか、という考えもありました。
これは、私の主観でしかないのですが「君に死を見たから、新しい命を迎えたんだよ」そう愛犬に伝わりそうな気がしてなりませんでした。
一緒に暮らしている犬が病気になり、新しく犬を迎えることは、悪いことではありません。ただ、私にはできませんでした。
新しく犬を迎えていたら、愛犬の生活はもっと意味のあるものになっていたかもしれません。逆に、ストレスだらけの生活になっていた可能性もあります。
愛犬のために何がよかったのか正解が分からないからこそ、私の心にできた波紋がいつまでも揺らぎ続けているのだと思います。
最終的に私は、新しく犬を迎えることをしませんでした。最後までひとつの命に向き合い、愛情をそそぎ続けようと決めたからです。
「新しく犬を迎えたら?」とアドバイスをくださったシーンを今でも鮮明に思い出します。私の思考にないものだったため、よりインパクトが大きかったのかもしれません。
ひとつの命。死を宣告されたとしても、それは輝き続けている限り、死を意味するわけではありません。明日、輝きが消える運命だとしても、今このとき、一緒に過ごす時間を愛し、大切にその命を抱きしめていきたいと決めました。
「君にとって幸せな選択じゃなかったかもしれないね、でも精一杯君を幸せにするからね」
愛犬の命が輝き続ける限り、これからもふたりで前を向き、進んでいこうと思います。
只野 アキ/ドッグライター
犬の素晴らしさを皆様にお伝えし、犬を手放さない社会の実現を目指すドッグライターです。
家庭犬ドッグトレーナーとして、トレーニングやイベント運営を経験。愛犬の病気をきっかけにトレーナー業は休止し、現在はドッグライターとして活躍中。
趣味は犬とたわむれること。愛犬との生活が豊かになる情報や、皆様のこころがほんのりと温かくなるような記事をお届けします。
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