1997年10月20日の午後、外出の準備をしている時だった。「今2頭目が出てきたところです」と電話がかかってきた。待ちに待ったパピーの誕生の瞬間。その2頭目がセナだった。
生まれた時から、争いごとが苦手だったセナは、兄弟が繰り広げるおっぱい争奪戦にも参加せず、「ボクにもミルクください」とひたすら人の眼を見ておすわりをしているタイプ。
パピーのセナは、ご飯を食べていても、水を飲んでいても、寝ていても可愛い。
そして人に頼るその姿が、可愛いさを倍増させている。もしかしたら、これはセナの作戦だったのかもしれないと、あとから勘づくも後の祭り。
セナがやってきたその日から、ワタシはセナのシモベと化してしまったことは言うまでもない。
目の中に入れても痛くないとは、セナのためにある言葉と公言してはばからなかったワタシ。一人で留守番をさせるなんてとんでもないとどこに行くにも連れて歩き、やむなくお留守番をさせるときにはベビーシッターを頼むという日々。
そのおかげで、セナはすっかり分離不安な犬になってしまった。今でこそ犬の分離不安症が問題視されているが、その当時そのような病名はなく、人の姿が見えなくなるだけで「ピーピー」と鼻を鳴らすセナが可愛くてしかたなかった。
どこにでも人の後ろをついて歩き、ほんの少しの時間ひとりにしておいただけでもうお腹を下すセナ。どこか悪いのではないかと心配になる新米飼い主のワタシは、すぐに病院へ連れて行き、しまいには獣医師から「過保護病です」と告げられる始末。
少しは自立心を養っておけばよかったと、後々後悔することになるのだけれど、この時は微塵もそんなことを考えたこともなかった。
そんな過保護なワタシのセナとの楽しみは、一緒に海で遊ぶこと。海に行くと、尻尾をくるくると回して全身で喜びを表現していたセナ。
ウインドサーフィンを趣味にしていたワタシは、物は試しとセナを乗せてみることに。人間ならボードに立つまでには時間を要するのだけれど、難なくセナはクリア。その時初めて、ゴールデンレトリバーの身体能力の高さを知り、可愛いだけじゃないことに一人で感動。
ボードに乗っていることが大好きになったセナは、隙をみては誰かれ構わず人のボードに飛び乗り、得意満面な笑顔を振りまいていた。
そんなある日、人気ペット番組から取材の依頼が!
ペット番組にしては珍しく、セナの撮影のためにジェットスキーをレンタルしてくれ、セナが乗るウインドサーフィンと並走しての撮影だった。時は真夏の海水浴シーズン。周囲の海水浴客から歓声があがる中、セナは意気揚々とボードに乗っていたのだった。
そして、撮影隊の要請でいつもより少し沖に出ることに。ところが、沖に出ることにセナが大きく抵抗。おそらく犬にとってはとんでもない場所であろう沖で、セナはボードから飛び降り海水浴場に入って陸を目指して泳ぎ始めてしまった。
海水浴場の中には、ジェットスキーやボードは立ち入り禁止だ。そのため、撮影隊のジェットスキーもワタシが乗っているウインドサーフィンも、セナには近づけないという緊急事態。沖合1km近い距離で飛び降りたセナを、陸上で見ていた仲間が泳いで助けに行ってくれことなきを得た。
普段は鳴き声ひとつあげず、人の話を聞き人間のように振る舞うセナだったのに、セナは犬だった!と気づかされ、その時ほど驚いたことはなかった。
その後、テレビが放映されると、一躍セナは有名犬に。どこに行っても声がかかり、一緒に写真をと頼まれる事が日常となり、セナもちょっとハナタカになっていた気がする。
そんなスター気取りだったセナが、奈落の底に落とされる日が・・。
「君たちは私の太陽 ~海辺でゴールデンレトリバーと暮らす日々~」記事一覧