
2015年・秋。「あお」と名付けた柴の仔犬を迎え入れ、生まれて初めて「犬の飼育員」となった「僕」と「もうひとり」。4カ月を迎え、通わせ始めた『しつけ教室』で 犬との接し方 を教わり、なんとかそれを実践しようとする飼育員だったが、『敵』はなかなか手強かったようで......。
ドッグトレーナーの川野輪さんに、最初に言われたことは「人と犬は違う」という事だった。
「犬は、無視する時は徹底的に無視してください。人は誰かに無視されたら"感じ悪い"と思いますよね。でも犬はそう思いません。人と同じような感覚ではいないでください」
これが新米飼育員にとっては、どうも難しい。
そしてこうも言われた。
「犬に主張を通させないでください」
これもまた難しく、ついつい、あおの要求に応えてしまうこともあった(なぜなら、大きな声では川野輪さんに聞こえてしまうので言えないが、こちらの基本には「おもてなしの心」があったからである)。
あおの要求は基本、無言のまま こちらをじっと見つめて、
「わかってるよね?わたしが今要求してること、わかってるよね?」と、ものすごいプレッシャーをかけてくる。それを無視するチカラが僕には、どうしても持てなかった。
こんな感じで見てくる
この目......こわい......
あおに見られると、堂々としていられない。視線を感じるだけで、そわそわしてくる。
「はいはい、わかったわかった」と、ついひとりごとを言いながら、要求に応えようとしてしまう。
結局、プレッシャーに負け、要求に応えるための準備を始めると、あおはさらに"詰めて"くる。
こちらがちょっと準備に手間取っていようものなら、「大丈夫、落ち着いて」と、言ってくれるはずもなく、容赦なくクンクン声を出しながら、こちらをじーっと見つめ、さらなる重圧をかけてくる。("穴があくほど見つめる"とはこういうことを言うのだと初めて知った)黒い目の奥に光る「はやくしてよ」の文字......。
見てる......見てるよ......気になる。視線が気になる......。
もうひとりの飼育員がいる時は、いくら見られても気にならない。なぜなら「二対一」だからだ。けれど、もうひとりの飼育員がいない時、戦いは「一対一の対決」となり、僕にとってかなり分の悪い戦となる。
犬に対してメリハリのある接し方が必要だと教わり、「しっかり遊んだら、サークルに入れて、あとは一切構わない」を実践していたのだが、あおには納得がいかない事も多かったようで、僕がひとりの時にはよく、「もっと遊びたい!サークルの外に出して!」と、激しく主張してきた。しかも、吠えたり、サークルから飛び出したり、というような"実力行使"ではなく、「ただひたすらサークルの中からこちらを見つめてくる」だったからタチが悪い。
まずじっと見てくる。それを僕が無視していると、今度はサークルの柵を噛んだまま、恨めしそうな目でさらに見てくる。
「じーーーーー」という音が聞こえてきそうなぐらい見てくる。
あおの『超・精神圧迫作戦』である。
犬の要求は完全無視が基本だと教わったので、がんばって無視するしかない。だけど......気になる......激しく気になる......。
「おい、見るな!」と注意するのも、なんである。なんとか見ないふり。ソファーに座ってテレビを見たり、新聞を読んだり。
するとあおは、吠える代わりに、サークルの中に敷いてあるマットをひたすら掘り始める。しかも僕が座っているソファーに近いところを選んで......。
『ガリガリガリガリガリガリガリガリ......』
気になる......気になる......テレビも新聞も内容が頭に入ってこない。
そして音は徐々に「ガリガリガリガリガリ......」から「不満不満不満不満不満......」と聞こえてきて、もう耐えられない、思わず隣の部屋へ避難である。
ひとりで食事している僕を、じーっと見てくることも多かった。
「じーーーーーー」
気になる......。味がしない。
そのうち、あおに見つめられたまま食べるぐらいならこっちの方がまだいいと、台所からテーブルに料理を運ばず、そのまま流し台の前で立ったまま食べたこともあった。なんてむなしい食事なんだと思いながら......。
あおが来てから台所には、火を使っている時などに入ってこられると危ないので、ゲートを設置した。なのでそれを閉めれば、あおは台所には入って来られない。
なのだが、サークルから外に出している時に、台所で何かしていると、ゲート越しにこちらをじーっと見てくるので面倒くさい。
目隠しのカーテンを閉めて、あおを視界からシャットアウトしながら食事の準備をすることも多かった。
台所の前で待つあお......
あの日は、ひとりで昼食をとろうとしていた。
ひとりなのでカップ麺(天ぷらそば)。フタを開け、スープの素と かやくを入れ、電気ポットのお湯を注いで3分待っていると、いつものように、柵越しにあおが見てきた。
「あーあ、また見てるよ......。このまま台所で食べちゃおう」
独り言を言いながら、カーテンを閉めた。するとカーテンの向こうから「クーンクーン」というあおの鳴き声......。
「開けて~見せて~」
(やめてほしい......)
あおが視界に入っていないので強気に無視。するとすぐ静かになった。
(よかった、あきらめた......)
3分経ち、フタを剥がして、「食べる直前に入れてください」のかき揚げを袋から出して、そばの上に浮かべた。さあ食べよう、と箸を用意しようとしたその時!
カーテンの隙間から、じっと見つめる黒い目が!!
うわっ!見てるーーー!!!
驚いた拍子に、天ぷらそばに手が当たった。
バシャーー!
一気に広がる"かつおだし"の香り。天ぷらそばは、つゆごと全て床にぶちまかれた......。
(うそでしょ......まだ食べてないよ......)
さらに運悪く、容器は冷蔵庫の方に落ち、つゆのほとんどは冷蔵庫の下、1センチほどの隙間に流れ込んでしまった......。
カップ麺を全部こぼすなんて、今までの人生で一度だってない!仔犬のプレッシャーに負けてこのザマ......。かなしい。いや、がなじい......。
(これ、どうやって拭くんだよ......)
何か起きる時はいつもひとり......。冷蔵庫を持ち上げて拭き取ることもできず、かといって放っておくわけにもいかず、古新聞を用意し、隙間に入る細さに折って(縦長の刀状態)、冷蔵庫の下に入れ、汁を吸わせては捨て、また折っては吸わせて捨て......という、チマチマした作業を30分以上続けた。
その頃、あおの興味はすでにこちらにはなく、その涙が出そうな作業を見てもいなかった。
(見ろよ、こういう時こそ!)
片付け終わった後、あまりに悔しかったので、意地になって今度は"カップヌードル"を食べてやった。
(あおが見てなかったので余裕で食べられました)
こんなふうに いつの間にか見てる......
(つづく)
舘川範雄 (たてかわ のりお)
1966年9月19日生まれ。1987年4月から作家活動に入る。
「コサキン」「SMAPxSMAP」「ポンキッキーズ」「スクール革命!」などテレビ、ラジオで多数の番組構成を担当。また関根勤主宰「カンコンキンシアター」の他、オリジナルコメディーやミュージカルの作・演出など、活動は多岐にわたる。
インスタグラム(ao20150721)で白柴「あお」が毎日、犬の目線で日々の出来事を投稿中!
「コントみたいな犬との暮らし【柴犬生活漂流記】」記事一覧