
2015年・秋。「あお」と名付けた柴の仔犬を迎え入れ、生まれて初めて「犬の飼育員」となった「僕」と「もうひとり」。次々と起きるどの飼育本にも載っていないトラブル、アクシデント、ハプニング。心労で3カ月の間、毎晩見るのは犬の夢だけ......。今は笑って話せるけれど当時はそんな余裕ゼロ!途方に暮れながら過ごした日々は、まるで大海原を犬と一緒に漂流しているような気分だった......。
今回は、いよいよ「夢」の話。男でも、育児(育犬)ノイローゼになるのだ。飼い主のみなさんなら、多くの方は同じような経験あるのでは?
映画『ライフ・オブ・パイ』の気分だった。家族と出港したはずなのに、突然一人大海原に放り出され、漂流しているような。乗っているいかだには、自分の他に言葉の通じない飢えた虎。僕にとって生後2カ月の柴犬は、この映画の虎に等しい『猛獣』だった。爪楊枝のような乳歯で手を噛んでくるわ、足を噛んでくるわで、チカラが強いと皮膚に刺さる。我が家には傷スプレーが常備された(今までそんな薬を買ったことなし)。
あおが家に来て3日目。しかし感覚的には一週間以上経ったと感じるほど、僕は、異種との生活にすっかり疲弊していた。
生後2カ月のあおは、おもちゃで遊んでいたと思ったら突然歩き出し、いきなり排泄の姿勢に入る。慌ててトイレシートの上に連れていこうと抱き上げても、時すでに遅し。空中で放出された物は引力に従って床にポトリ、落下である。こちらもパニックになっているので、「待て待て待て!」と、あおをひっくり返してオシリを上に向けたりするのだが、止まるわけもなく、あおのオシリの上でバウンドしてから床に落下でより大惨事となる。
その日はサークル内に敷いたマットの上にポトリ。「またかぁ......」ウエットテッシュを手に、うつむきながら「大」の掃除に取りかかった時、マットの上に血痕を見つけた。
「うそ!?あお、出血??」
一気に血の気が引いていくのがわかった。何だ?血尿か?吐血か?と、さらにマットに血を発見!そしてまた血がポタッとマットに落ちた。
「え?もしかして鼻血?」
血の出どころは、前屈みになって作業をしていた僕の鼻だった。
「うそ?鼻血だよ~でもあおじゃなかった良かった~、マットの汚れ拭かなきゃ、あ、また鼻血出た、あれ?あおどこ行った?あ、また鼻血垂れた!拭かなきゃ、あー下向くとダメだ、垂れるー......」
あおがポトリと落としたモノの汚れを拭きながら、自分の鼻からポタリと落ちるモノの汚れも拭く。下を向くと血が垂れるので、顔は天井に向けながら、目だけマットに向けるのだが、全然見えないのでチラッと下を見るとまたポタリ。「あ~!」そして「あれ?あおはどこ行ったー?!」と、もうパニックである。
それから数日、下を向いてサークルの掃除をしたり、トイレシートを敷いたり片付けたり、フードを出したり水を替えたりするたびに、鼻血が何度か出た。
鼻の中を傷つけた記憶もない。毎週通っている整体の先生に、体調を診てもらった。
先生曰く「身体は冷えているのに、頭はのぼせている」。まるで知恵熱のような状態になっているという。
間違いなくそれは、『あおのプレッシャー』......。
朝起きてフードを出し、水を出し、寝床を整え、トイレを掃除し、おかしな様子はないかと絶えずチェックをし、朝昼晩、夜中、トイレパトロールに出かけ、遊んでいる時、オモチャをかじって食べてしまわないように目を光らせ、フードを残さず食べているかを見守り、食べ終わると今度はそれを消化して出す瞬間を待ち......と、慣れないことをひたすら頑張っていた。頑張り過ぎていた。
犬を育てるという大きなプレッシャーに押しつぶされた結果の鼻血。鼻血が出るほど大変な事が、この世には本当にあったのだ。
その時、初めて自分が追い詰められているということを自覚した。
あおが来て3日目にして、早くも僕の身体は悲鳴をあげていた。
始まったばかりの犬との暮らし、この先どうなる?不安が襲った。
この頃、"もうひとりの飼育員"は、舞台稽古の都合で家にいられる時間が短く、反対に僕は、あおと2人きりになる時間がやたら長かった。飼育員2人体制の予定が、担当者一人。研修なしで、いきなり"ワンオペ"はキツい。
「目を離した隙に、おもちゃをかじって誤飲したらどうしよう」、「何かの拍子にケガをさせてしまったらどうしよう」、「うっかりあおを踏んづけてしまったらどうしよう」......。一人だと、何もかもが心配で、不安で仕方なかった。
あまりのプレッシャーに、四六時中、頭の中は犬のことばかり。
僕はあおが来た9月の真ん中から12月の終わりまで、大げさでもウソでもなんでもなく、毎日、1日も欠かすことなく「犬の夢」をみた。しかもありとあらゆるパターンの夢をみた。
あおが何かの事故に遭う、あおがどこかに逃げてしまう、あおにフードをやるのを1カ月も忘れてしまっている、などなど、我ながら感心するぐらい、手を変え品を変え、実にさまざまな夢を見た。けれど、3カ月も経つとさすがにパターンは尽きてきて、最後の方は、あおが僕に話しかけてくるという、ファンタジーテイストの夢まで出てきた。
あお 「いつもありがとう」
僕 「お前、言葉がわかるのか?」
あお 「言っている意味はわかる」
僕 「おおそうか!そうなのか!!」
あお 「いつもトイレ、失敗ばかりしてごめんね」
僕 「いいよ、いいんだよ!!じゃあ、今まで俺がお前に言っていたことも全部わかってたのか?」
あお 「わかってた」
僕 「そうか、お前は俺の気持ちをわかってくれていたのか!そうか、そうなのか!!」
目を覚ました時、ちょっと涙ぐんでいた。そして思わずつぶやいた。
「俺、病んでるな」
見つめられると ものすごいプレッシャー
寝てくれるとひと安心
踏んじゃいそうで怖い大きさ
(つづく)
舘川範雄 (たてかわ のりお)
1966年9月19日生まれ。1987年4月から作家活動に入る。
「コサキン」「SMAPxSMAP」「ポンキッキーズ」「スクール革命!」などテレビ、ラジオで多数の番組構成を担当。また関根勤主宰「カンコンキンシアター」の他、オリジナルコメディーやミュージカルの作・演出など、活動は多岐にわたる。
インスタグラム(ao20150721)で白柴「あお」が毎日、犬の目線で日々の出来事を投稿中!
「コントみたいな犬との暮らし【柴犬生活漂流記】」記事一覧